おとといのブログを読み返してみたのですが、あのときは、レポートの感想を読んだときに、どうして違和感を感じたんだろう? ということを何とか説明しようと、言葉を探しながら書いていたので、どうも、あまり文章が上手くまとまっていなかったように思えます。少し、つけたしをしたいと思います。さらに、話が拡散する可能性が高いですが・・・(笑)。
1.見方、考え方を一旦学んでからではないと、その方法で見えること、わかることが実感できない、というのはそうだと思いますが、常に、「もっと先まで学べばわかります」といい続けて、それが何を意味しているのかを説明しないでよい、というつもりではありません。むしろ、ある方法を身につけた後、それを使って何ができるのか、というのは積極的に確認されるべきでしょう。麓にいて、これから登山を始める前に高いところからの景色が如何に素晴らしいかを話すよりも、実際の眺望に触れてみることが大事だ、と、言いたかったつもりです。その達成によって、次に、より険しい道程があっても、挑む気持ちになれるかもしれないのですから。前にも同じことをどこかで書いたような気がするのですが、何かを学ぶときに大切なのは、それを学んだことで、世界を広く深くみることができた、と実感することで、そのときの新鮮な感動が、単なる機械的な暗記ではない学びを成り立たせるのだと思います。
2.もうひとつ、気になっているのは、これは、取り越し苦労かもしれませんが、「わかりやすい説明 = 生活の中で使われる例」ということが、何の保留もなくステレオタイプに信じられていて、それだからこそ、これを確かめるのは大事だ、と考えられているのでは、という気もしたのです。そうだとしたら、「生活に役に立つ例で」ということがマニュアル化されて、どの児童・生徒の方々に対しても、「これさえやればうまくいく」と、千篇一律に用いられるのは、どうかなあ、と思ったりもするのです。たぶん、一人ひとり、物事の理解の仕方、というのは違っていて、教える側は、彼らとコミュニケーションをとるあらゆる機会に、感覚を澄ませ、その場に応じて、相手にとって手ごたえのある伝え方を心がける、というのが、(とても難しいのですが)望ましいのだと思っています。もちろん、数あるシチュエーションの中の、選択肢のひとつとして、そういう説明のしかたも考えてみたい、ということだったら、よいと思うのですが。
それにしても、教え方の話をするのは、そういうお前はどうなんだ、という問いが、自分に返ってくるので、難しいところではあります(笑)。