同じ学部の先生から、御著書をいただきました。
研究でのお知り合いから著書やテキストを送っていただいたことは何度かあったのですが、数学関係以外の方から本をいただいたのはおそらく初めてです。かたじけなく拝読したいと思います。
恥を忍んで(笑)書きますが、私の本棚には、岩波文庫の「正法眼蔵」と、ちくま学芸文庫の「読解」、河出書房新社の「現代文訳」があります。これが、正法眼蔵についていろいろと見識を深めて、人生の指針、生きる覚悟を養っています、ということならばカッコいいのですが、単に、原文を読んでもわからず、「読解」ならわかるかと思いきや、やっぱりわからず、それならば「現代文訳」なら、と目論んでもわからず、というわけで、斜め読みを繰り返し、それでも、何となく、ぼんやりと頭の中に残った切れ端を、さもさも知ったかぶって振り回してしまうのが、我ながらなんとも情けないところです。解説書を読もうと眺めてみても、正法眼蔵の解説、というよりは、その本の著者の人生訓や宗教観みたいな話になってしまうものもあり、いや、「正法眼蔵」に何が書いてあるのかを知りたいんだけどなあ、と、生意気ながらも思ってしまうこともあります。
いただいた本は、「正法眼蔵」の最初にして、全体の思想を端的に現しているという章、「現成公案」のテキストを噛み砕いて、丁寧に読み込んで、やさしい言葉で解説してくださっているので、私みたいな者にとっては、とても助かります。
数学では、ある一定の段階で思考停止して概念を定めることで形式的に論証や操作を行い、哲学は、物事の意味や定義を果てしなくさかのぼる、という違いはあるのでしょうが、テキストを読む、というのは、結局は、言葉の意味がピンとこなかったら調べたり考えたりすること、そして、どうしてこういう結論になるんだろう? と、思ったら、今までの考え方の筋道を改めて辿りなおしてみることから始まるのだなあ、と改めて感じました。そのことを気負いなく、倦まず弛まず、というか、むしろ楽しんで行えるのが、読むことのプロで、私は、素人の浅ましさで、最初は意気込んでいても、難しい言葉に出会うと途端に面倒くささと焦りとが先に立ち、わからないままにがばがばと文章を頭に流し込んでいたのでした。
ゼミで数学書を読むときに、学生さん相手に、そんなことをしても何もわかるようにならないでしょ、と偉そうに説教していたはずなのですが・・・(爆)
最近、自称プチ・ミッドライフ・クライシス(笑)で、絶望というほど深刻ではないにしろ、無力感に打ちひしがれてはブログに愚痴をこぼしている私も、一瞬一瞬の世界をきりりと引き受けて生きてゆけるように、この本を片手に「現成公案」を熟読玩味したいと思います。