2012年6月3日日曜日

いろいろあきらめる

数日間寝込んだツケで、週末はレポートの採点をしていました。がくっと給与が下がるという知らせが飛び交う中、休日まで仕事をしなければならないというのは、なかなか気が滅入るものではありますが(笑)

病み上がりの状態でレポートを読んでいたら、居心地悪さが嵩じて、胃が痛くなってきました。相変わらず、こちらが方法を明示した計算問題はやるのですが、ちょっとした証明問題になると何を書いているのかわからない記号をお互いに写しあっていて、読んでいて気持ち悪くなってしまうのです。

友達同士で教えあうのはいいけど、そのときは、レポートを写すのではなくて、自分で理解して、正解だと確信したものを書いてください、と、しつこく言っているのですが、意味が通じない記号はそのままで文章の「てにおは」が変わっているだけ、というものを繰り返し読む破目になりました。そこを聞いているのに、と、いうところが無造作にスルーされているのもあります。結果として成り立つんだからいいでしょ、とばかりに、ほんとに理解して使ってるの?といいたくなるようなことを、おそらく、どこかの本から抜き出したやりかただけ真似て使っているものもあります。

昨年当たりから顕著になってきた、自分の書いていることを理解していないのにそのことに何の違和感ももっていない、というか、そもそも理解するということを理解していない、という感じがさらにひどくなっているようです。 

数式と成立していない記号、とか、筋道を立てていない手続きで平気なのだなあ、この調子ならば、こちらが書いた式や証明も、手順を踏んで理解すべきものだと思われていないのかもしれないぞ、と、気持ちがどんどんネガティブになってしまいます。

今のような、ある程度長期的なスパンで、まとまった問題をじっくり考えるレポート、という方法はもう成立しなくなったのかもしれません。3年ほど前までは、かなり有効に機能していた手ごたえがあったので、ここ数年、今年度だけの特殊事情かも、と淡い期待をつないではいたのですが(笑)、どうやら、そうではないと認めざるをえないようです。

違う方法で、といっても、それは補助輪つきで自転車に乗せるようなものになるわけで、大学に入ってまでそれでいいのかなあ、という拘泥は拭えないのですが。