新司法試験、合格率最低の25・41%
法務省の司法試験委員会は9日、法科大学院の修了生を対象にした新司法試験の2010年の合格者を発表した。
合格者は2074人で昨年(2043人)よりわずかに増えたが、合格率は昨年比2・23ポイント減の25・41%にとどまり、新司法試験開始から 4年連続で下降線をたどった。政府が掲げる目標から1000人近くも少なく、法曹人口を増やして国民への法律サービスを充実させるとした司法制度改革に狂 いが生じる可能性が出てきた。
今年の受験者は昨年より771人多い8163人。合格者は男性1482人、女性592人で平均年齢は29・07歳。最高齢は66歳だった。
法科大学院別の合格者は、東京大201人、中央大189人、慶応大179人がトップ3。全74校のうち、50人以上の合格者を出した11校(計 1233人)で全合格者の約6割を占めた。これとは対照的に鹿児島、姫路独協の2校は合格者ゼロ。一けた台の大学院も33校あった。文部科学省は、合格実 績が低迷する大学院への交付金や補助金を削減する方向で検討しており、今後、再編・統合の動きが広がる可能性がある。
4年制大学で法学を専攻した学生らの合格率は37・02%だったのに対し、他の専攻や社会人出身者などの合格率は17・30%にとどまった。多様な人材を法曹界に送り出そうという当初の構想とはかけ離れた状況となっている。
政府は2002年、旧司法試験の実施が最後となる今年をめどに、新旧試験の合格者を「3000人程度に」とする目標を閣議決定していた。11月には旧試験の合格発表があるが、合格者数は数十人の見通しという。
合格者が想定を下回るのは、乱立した法科大学院の不十分な教育態勢、学生の質の問題のほか、最近では新試験の合格率の低迷で優秀な学生が法科大学院を敬遠する傾向も出てきており、政府は法科大学院の教育力向上など対策を求められそうだ。
(2010年9月10日 読売新聞)
確か、法科大学院が始まったころ、「大学院修了者の7割くらいが司法試験に受かるようにする」と報道されていた記憶があるのですが、結局、こうなってしまっています。
合格者が想定を下回る理由として、「乱立したほうか大学院の不十分な教育態勢」、「学生の質」を挙げているのは、取材のソースの関係者のコメントに基づいているのか、この記事を書いた記者のお考えなのかはよくわかりませんが、どうも納得がいきません。「3000 人程度」を金科玉条の如く守れ、と、言いたいのならば、法科大学院をいっぱい作れ、というしかないのでしょうし(後述するように、私はそんなふうにはなってほしくないと思っているのですが)、「学生の質」なんて抽象的過ぎて何をいっているのかわからない言葉です。「合格率を上げるためにどうにかしろ」というのであっても、現在ある法科大学院のうち、どんなに頑張っても5割、という結果を見通せなかった、というのは、大学にどうにかしろ、とか、学生に勉強させろ、とか、そういう問題ではなく、制度設計自体に無理がある、というのが、最も妥当な見方なのでははないでしょうか。
さらに、難関の司法試験に合格を果たした方のその後も安泰ではないようです。最近、テレビ等で報道されているところによると、今までは国から支給されていた研修中の給与がカットされるとのことですし、その上、「3000 人合格を目ざす」などとぶち上げても、現状でも合格した方が全て就職できるのではないようです。これは、数ヶ月前の新聞記事です。
司法修習生、4割が就職未定=「危機的状況」と日弁連
日弁連は21日、2009年に新司法試験に合格した司法修習生を対象にしたアンケートで、今年 6月時点で就職先が決まっていないと回答した人が43%に上り、昨年同時期の30%を大幅に上回ったとする調査結果を公表した。日弁連は「このままでは修 習を終えても仕事ができない者が大量に出る。危機的状況だ」と懸念している。
調査は全国の弁護士会が聞き取り方式で実施。新司法試験に合格した司法修習生2021人中、1235人が回答した。
日弁連によると、司法試験合格者数の増加を受け、同時期の司法修習生の就職内定率は年々低下。新司法試験合格者の場合、これまでは修習を終える12月まで に大半の就職先が決まっていたが、今年は引受先が決まらなかったり、即時独立するケースが大幅に増えたりする可能性が高いという。
(2010 年 7 月 21 日 時事.com )
つまり、「3000 人必要」という根拠は何だかわからず、苦労して司法試験に合格しても就職先が決まらない、ということがありうる、ということが、少なくともこの記事からは推察されるわけです。
私とはあまり縁のなさそうなこういう話題にどうしてこれだけ反応しているのか不思議に思われる方もいるかと思いますが、実は、こういうのを眺めていると、「大学院重点化」と称して、博士を大量に誕生させて、路頭に迷わせていた、研究者に対する行政と大して変わらないように見えてならないのです。
「大学院重点化」が始まったとき、専門の研究者がもっと幅広く必要な社会が来るから、などといううたい文句で、数学関係でも多くの大学院生が博士課程まで進学しました。しかし、結局は、その人たちが就職できるパーマネントなポストは増えないどころか、むしろ減少していったように思います。就職先のないODの方々が増えただけで、若い研究者の中は、世界的な業績をあげながらも、数年の任期をわたりあるいて食いつないでいたり、または、格安の給料での非常勤講師を大量にこなしている方も少なくありません。途中で研究を断念せざるを得なくなった方もいらっしゃいます。
そんなの今流行りの「自己責任」じゃないか、と考えるかたもいらっしゃるかもしれませんが、そういわれると釈然としないところもあるのですよね。つまり、今回の法科大学院のための「3000 人」とか、「合格率何割程度」とかいうのもそうなのですけど、こういう制度を導入するときの、将来的にその修了者が社会に受け入れられる数の見通しが、好意的にいって「甘い」、辛辣にいえば「ない」(笑) という状態だったのです。当初から、これだけ厳しいと思っていたなら、進路なり経済的な計画なりを考えたのに、という方もいるのではないでしょうか。私自身も、最終的に何とかなったからよかったものの、もし、博士課程に残るときに、キミは12年間をこのように過ごした後にポストに就くことになるんだよ、と言われたとしたら、うーん、大学には残りたいけど、そんなに長いこときつい時間を送るのは嫌だなあ、と考えるかも、と、思うことが あります。
でも、いくらなんでも当初の見通しとそれほどは違わないだろうから、ちょっとは狂ってもそれなりにはなるのかな、と、考えてしまうと、思いっきり、「2階に上げられて梯子を奪われて」しまいます。
大学院の環境を整えるにも、任期つきの研究員の方の人件費や研究費などでも、税金等の公共の資金を使っています。そのようにして育てた人材を、社会や人間文化のために活用することなく、単に窮地に追い込むだけならば、それは、当人にとっても、社会にとっても、不幸なことです。
そして、また、これが「対岸の火事」ではないのかもしれません。現在、教員養成のための大学院をどうする、というような話が報道などで取り沙汰されているようです。 前車の轍を踏むような、多くの若い方々を意味も無く路頭に迷わせることは絶対にしないでほしいと思います。