大阪には5,6回は訪れていると思いますが、行きたいと思って行けなかった場所もあります。そのひとつがこの適塾の跡でした。
適塾とは、幕末に蘭学者、緒方洪庵が開いた学塾で、その門から、大村益次郎、石田英吉、大島圭介、杉亨二、高松凌雲、長与専斎、橋本佐内、福沢諭吉といった、錚々たる人物が輩出されました。漫画『陽だまりの樹』の主人公のモデルとなっている手塚治虫の曽祖父もここで学んだのだそうです。
その学塾の様子は、『福翁自伝』や、大村益次郎を描いた司馬遼太郎の小説『花神』の中でも書かれています。
塾生は大部屋の中に一人畳一枚分のスペースを与えられて、そこで、昼は机を置いて勉強し、夜はその一畳の中で寝ます(とはいうものの、かなりの塾生が、机に向かったまま、疲れたら突っ伏して寝ていたらしいですが)、5日に一度、洋書の購読会があって、その際の翻訳の仕方により点数がつき、優秀な人から、 好きな場所を選べるようになっていたのだそうです。成績が悪いと、夜、人が通って踏みつけられたり、昼間でも暗くてろうそく代がかかってしまったり、という場所に居ざるをえなくなるため、購読会の前夜などは皆必死だったようで、当時、貴重だった辞書は別室に置いてあって、塾生は替わる替わる閲覧するようになっていたのですが、その順番の奪い合いで、部屋には夜中灯りがついていたとのことです。食事も質素で、しかも時間になると皆で集まって立ったまま食べる、という状況だったそうです。
しかも、出身者の回顧談によると、彼らにとって、そうして学んだ時期は、とても充実していたようです。設備も整わない、今だったら劣悪といってもよい環境の中で、学ぶことへの「熱さ」が滾っていたのはすごいなあ、と、思います。自分達が時代を開くのだ、という自負や、師である緒方洪庵の人格や、共に学ぶ塾生との切磋琢磨があいまって、そういうものを生み出したのでしょうか。
江戸後期から幕末にかけて、適塾や松下村塾など、後の世に名前の残った私塾がありますが、おそらく、無名のままで終わった塾も全国にあったでしょうし、学ぶ気のある人々は教えを乞うために遠くの識者を訪ねたりもしていたのでしょう。そういう風に、必死で学んで育った有名無名の方々が、各々の暮らす場所でそれぞれの道に勤しんで、日本の近代を作ったのだといえるでしょう。今、大学、という場所でそういう情熱に触れることができるのか、と、ちょっと不安になってきたりもしています。
曲がりなりにも教えることに携わっている身としては、現代では、こういう学ぶことへの充実は得られないものなのかなあ、と、考えさせられてしまいました。
ご覧の通り、そんなに大きくない町屋の建物で、日本の近代化を支えた多彩な人材が育ったのですね。 20 畳ほどの広間で、1畳に一人ずつ、机を並べて勉強していた塾生の姿を思うと、身の引き締まるような思いがしました。