2013年1月10日木曜日

松本竣介展 (1)

世田谷美術館で松本竣介展が開催されていたので、帰省中に見に行ってきました。

このブログで絵に関しても知ったかぶったようなことを書いていますが、日本の近代以降の画家に関して知っていることのほとんどは洲之内徹の本からのつまみ食いで、ここで話題になっている松本竣介の絵のほとんどが中期の写実的な人物画や肖像画なのでそのイメージしかなく、短い生涯の中で作風を変えながらも、そのいずれのスタイルでも素晴らしい作品を残していたことを、今さらながら改めて実感しました。

松本竣介は 1912 年生まれで、生誕 100 年を記念しての展覧会だそうです。父は実業家で相当裕福な家だったようですが、中学入学直後に病気により聴覚を失い、兄から絵具を与えられて絵を描くようになり、画家を志したのだそうです。 おそらく実家からの反対もなく絵に従事することができたようで、そのことは、当時、家の反対を押し切って貧しくも野放図に絵を描いた画家がほとんどだったのとは対照的だったかもしれません。さらには、聴覚がなくなってしまったことからの安直な連想かもしれませんが、たとえば、街の喧騒を描いたときでさえも、彼の絵には一貫した上品さと静けさが感じられるような感じるように思えます。

もうひとつの彼の特徴として、文章を読む、書くことに対し、非常に意欲的だったということがあります。今回の展覧会の資料として、彼の蔵書の記録も展示されていて、経済的な余裕があったことにもよるのでしょうが、相当の読書家だったことが伺えます。書くことに関しても積極的で、随筆などの文章がが巧みな画家は多いのですが、彼の場合は、求められたから、というのではなく、雑誌を編集したり、論説を発表したり、と、主体的に主張を発表することを続けていたようです。松本竣介といえば、そのすぐれた作品とともに連想されるのが、戦争前に美術雑誌に載った、画家の個性や芸術の自立性を貶め、国策としての美術をぶちあげる軍人とそれに同調する評論家の鼎談に反論し、芸術家としての立場を主張した「生きてゐる画家」という論説なのですが、そのことについては、また、後で書いてみたいと思います。

必ずしも長いとは言えない彼の画業の中で、その作風は何度か劇的に変化しています。そのことには相当自覚的だったように思えます。 ある主題に移ろうとするとき、いかにも勉強家らしく、最初は、ルオー、モディリアニ、シャガール、フジタなど、自分の描きたいスタイルに典型的な、当時の高名な画家達の絵に影響を受け、きちんと学んで、という感じなのですが、その路線の作品を繰り返し描き込むうちに、独特の雰囲気が色濃くなってゆくように思えます。その様子を、興味深く感じました。

前期の絵の中では、建物や人を重ねて描くことで、都会の情景を浮き立たせるモンタージュの画法で描かれたものが印象的でした。先ほど書いたように、この時期の松本竣介の絵は余り馴染みがないと思っていたのですが、いくつかの作品はかなり見覚えがあるような気がして、どこで見たんだろう、と考えてみて気づいたのですが、中公文庫の「ある生涯の七つの場所1~7」(辻邦生)のカバーがこれらの絵で、おそらく何百回となく手にした本の表紙の挿画だった、ということだったのでした(笑)