2013年5月10日金曜日

文章を直す

恒例の自己PRや志望動機の添削をしました。昨年度、頼まれた人すべてを無造作に引き受けてしまい、他の雑用と並行することになってスケジュールがタイトになってしまったのと、それまで余りじっくり話をしたことがなかった方の言わんとしていることの雰囲気が掴めなかったのとで難儀したので、今年度は、ゼミの学生さんの分だけ受け付けることにしました。どんなに多くても2人ですし(笑)、意余って言葉足らずの文章も、いつもの言葉足らずのゼミ発表から類推すると(笑) 何となくの主旨はわかるような気がするので、昨年よりは疲労度が少ないようです。

相変わらず、構成がしっかりしていない文章もあり、ある主張を詳しく説明するために始まったはずの文章が、いつの間にか、最初と対等な主張になっていたり、"A"、"B" 、"C" という文があるとき、"C" が"A" と "B" を総括しているのか "A"と"B"と"C" が並列的なのか曖昧で、総括のような接続詞を使っていてもそれぞれの主旨を考えると "A" と "B" から "C" という結論にならなかったり、例を挙げているような口調で書いてあることが全然例になっていなかったりしています。

そのような文を解きほぐして解読して、たぶんこういうことが言いたいんだろうなあ、と当たりをつけて、言いたいであろうことを筋が通るように並べてみると、それらを主張するために補足すべきことが見えてきます。その段階で 「何を書くか」を検討して、書き直してもらって、新たに持ってきた文について、意味が通るか、言葉の使い方が正しいか、など、「どう書くか」を検討するので、大体、3回読んで2回直すことになります。

それほど長くない、ほんの 10 行ほどの文章が各自治体あたり2つ程度なのですが、そういうわけで、かなり手間がかかります。おそらく、予備資料として面接のときのみに使われるためのものでしょうから、そんなに徹底的に検討しなくてもよいのかなあ、とも思うのですが、逆に、それだからこそ、さっと読んで意味が通るようにしなければならない、という言い方もできるのかもしれませんし、単にこの書類を出せばよいだけではなく、これから小論文もあるわけですし、さらには、仕事についたら、生徒さん達に向けて、保護者の方々に向けて、学校の先生方に向けて、などなど、沢山の文章を書くのですから、どのように書けば相手によく伝わるか、ということを考えるという経験も大事なのではないか、と、思い直してはいます。

などと考えながら、そういえば、偉そうなことを言っていても、自分が 20 歳過ぎのころ、そういう風に文章を書けたかなあ、と、ふと思いました。遥か昔のことで(笑) 定かではないのですが、なかなかきちんとした文章が書けない、と、思っていた記憶があるので、たぶん、心もとなかったのではないかと思います。 その後、数十年が経ち(笑)、美文が書けるようになったとは決していえないのですが、よくわからない文章になったときに切り貼りして最低限のレベルにまでは持ち直せるためのノウハウ(笑)くらいは蓄積されてきたようではあります。特に努力をしたわけでもないので、自然にそうなったということなのでしょう。そう考えると、まあ、あまり心配することでもないのかもしれません。

それにしても不思議なのは、読んだ本の中での、小説や詩など、語感や文体を重視する文学作品の割合は、最近よりも当時のほうが圧倒的に大きく、おそらく、よい文章にも多く触れていたであろうに、それは書くほうにあまり反映されていなかったということです。自分がそういうことを即座に取り入れるほどの才がなかったのか、読むことと書くことは必ずしも連動しないのか、それとも、そういう経験は長いスパンで現れてくるのか、その辺は定かではありませんが。