待望の、言ってよいはずなのですが、読みながら複雑な思いに駆られてしまいました。といっても、小説や翻訳の出来が悪いということではなく、翻訳を待っている間に、塩野七生さんの年代記『わが友マキャヴェリ』を読んだことに起因するのです。
複雑な、といったのは、悪い意味だけではありません。 あの本を読まなかったら、ルネサンスのフィレンツェを取り巻く複雑な政情や、チェーザレ・ボルジアをはじめとするイタリアの歴史上の人物などの時代背景は理解できていないままで、この時代についての小説を読んでもその面白さは半減していたのかもしれないのですから。
とはいうものの、『わが友マキャヴェリ』で、マキャベリの人となりを紹介するとき、まさに、この『昔も今も』が引用されてもいたのです。その要約が簡にして要を得ていて、文庫本8ページくらいで小説のエッセンスが余すところなく記されています。なかなか翻訳が出版されない事情を考慮した塩野さんの配慮だったのですが、こうなってみると裏目に出てしまったようでもあります。実はかなりネタばれ気味(笑)で、さすがに後半のいくつかのオチまでは紹介されていなかったものの、全体の3分の2くらいまでは、何となく見当がついてしまいました。
そのため、ストーリー展開より小説の細部にどうしても目がいってしまいます。今さら私がそんなことを言ってもしょうがないのですが、上手いなあ、としかいいようがありません。さりげない小道具や何でない人物が、後で意外な意味を持ってくる、というような伏線の張り方も周到ですし、当時の複雑な政情や、一癖も二癖もありそうな登場人物の人物像も、達者に、スムーズに読ませてくれます。そこここで、これぞモーム、という至芸を堪能させてくれます。
物語は、マキャヴェリが、チェーザレ・ボルジアの許に使節として派遣されるところから始まります。父であるローマ教皇の権威を背景に強力な帝国建設への野心を燃やすチェーザレは、当時、周辺の領主達の反抗にあい、その苦境を切り抜けるための微妙な駆け引きを強いられていました。彼の将来性を判断することができないフィレンツェ共和国は、つかず離れずの時間稼ぎのため、書記官のマキャヴェリにご機嫌をうかがわせながらの情報収集を命じたのでした。 相対したチェーザレに乱世を切り抜けるための君主像のヒントを見出し、混沌とした政局の中、フィレンツェをどのようにしたらよいかを考えつつも、根っからの女好きであるマキャヴェリは、寄宿した先の財産家の歳若い綺麗な奥方と何とか近づきになれないか、と、そちらでも策をめぐらすことになります。
職業人としては、才気煥発で、活動的、そして、故郷フィレンツェをこよなく愛する憂国家でありながら、 プライベートでは、食、酒、色事と自らの人生を大いに楽しむ、という、生粋のルネサンス人で、少々下品な冗談も言いつつ、常に周りを爆笑の渦に巻きこんで、いつの間にか人々の好意を勝ち取ってしまう、油断ならないようでいて、どこか間の抜けたところもあって、そこが何とも面白い、というようなマキャヴェリの人柄は、まさに、モーム好み、といえるのではないでしょうか。筆がのる、というような物語の進行に、当時 70 歳を越えていた著者が書いたとは思えない勢いがあるような気がします。
著者は、この作品の少し前に、長編小説『かみなりの刃』を書いています。大好きな作品ではあるのですが、そちらは、ちょっと建てつけがゆるいかなあ、というところもあり、語り口で繫いでいるような気がしないでもないのです。まあ、その上手さも彼の芸のうちなのですが。
世評は、『昔も今も』が低いのかもしれませんが、私の独断と偏見によると、この長編のほうが構成がしっかりしていて力感があるようにも思えます。チェーザレを観察し、腹の探りあいをする一面が『君主論』、『政略論』を著す将来の歴史家・政治思想家に、奥方をモノにしようと右往左往するもう一面が後の喜劇作家に繋がるように、実に巧みに誘導されています。また、先ほどの塩野さんの本で、この小説に触れたくだりによると、
「とはいえ、老大家モームも、大変な勉強家ではあったらしい、マキャヴェリに関する原史料は、彼の作品から政府への報告書、そして友人たちへの私信からすべて、眼を通している。会話ひとつでも、あ、あそこからとったな、とか、あの報告書にインスピレーションを得て書いた、とかわかるほどで、七十歳を超えていたのにと、正直言って舌を巻いた。」 (塩野七生 『わが友マキャヴェリ』)とあるように、70 を過ぎて引退直前の老大家の最後から2作目の小説、ということから想像されるような、技巧でゆったりと書き流す、という境地とは全く違う真剣さでこの小説に臨んでいたことがうかがえます。それまであまり経験のなかったらしい歴史小説の分野にチャレンジする、ということが、新鮮さや緊張感をもたらしていたのかもしれません。
ところで、「訳者あとがき」によると、この本を翻訳された方は、昨年の元旦に、これから楽しみのために年に一作、モームの長編を訳そう、と決心されて、その第1作として『昔も今も』を選んだそうです。そして、訳稿が多くの出版社から付き返される中、偶然、この小説の翻訳を企画していたちくま文庫からの出版の運びになったとのことです。モームを読みたい読者は沢山いると思います。この作品だけで終りということではなく、彼の作品の翻訳がこれからも手に入れるようになることを心から望んでいます。