連休の間、ヴィゴツキーの「思考と言葉」を読んでいました。
人は、というか、子どもはどのように言葉の語法と意味を身につけていくか、教えるということが教わる側の概念の発達がどのように関わるのか、自然発生的に身につく生活的概念と言語を通じて教わることで身につく科学的概念の違い、など、とても興味深く読み終えました。
ついでに言うと、学科を学ぶことでの科学的概念の獲得の例として、外国語を言葉の構造から分析的に学ぶことで、どのような思考様式が身につくのか、という話もあって、この前、おずおずと書いていたことなど、とうの昔にはっきりと考えられていたんだ、と、安心しました。
臆面もなく言わせていただければ(笑)、ああ、そうだよね、それでいいんだよね、という感じを抱くことができました。
講義のアンケートなどを読むと、ある割合の学生さんにとって、日常レベルの言葉で無意識のうちに身につくように、また、天下りに言葉を与えるのではなく聞いているほうに「発見」させるように、教授は行われるべきだ、という感覚があるらしく、それには、ずっと釈然としない感じを抱いていたのでした。そういう考えが教育の場では常識なのかなあ、と、不思議だったのです。
今まで、こうだと思うんだけど違うのかなあ、と思いながら、漠然としていたままだったことが、古典的名著に非常に明晰に書かれてあって、ほっとしました。
それとともに、この本は、教育関係者の間では広く読まれているとばかり思っていたのにどうしてあのような、ということがいくつかあって、新たな不思議さが芽生えてきてはいるのですが(笑)